オバマ米大統領は27日午後5時頃、現職米大統領として
初めて被爆地・広島を訪問のため、広島ヘリポートに到着し、
広島平和公園にて歴史的なスピーチを行なった。

オバマ大統領が行った広島での初のスピーチ全文
安倍総理言葉を紹介。

 

 

初めてになる、歴史的な現職のアメリカ大統領による広島訪問が実現した。

 

5月27日夕方、伊勢志摩サミットの全日程が終わり、オバマ大統領は、
午後5時ごろヘリで広島入りし、安倍晋三総理が待つ平和記念公園を
午後5時25分ごろ訪問した。

 

オバマ大統領は平和記念資料館(原爆資料館)を約10分くらい見学し、
その後、原爆慰霊碑に献花し、一礼した。

 

そして17分のスピーチが始まった。

 

広島平和公園でのオバマ大統領のスピーチ全文

 

71年が、経ちました。

71年前、よく晴れた雲のひとつない朝、死が空からやって来ました。
そして世界が変わりました。
 
閃光が閃き、火が立ち上り、この街が破壊されました。
またそのことが示したのは、人類は自身を破壊する手段を持っていることを

示したのです。
 
なぜ、私たちはこの場所にやってくるのでしょうか。
なぜ広島に私たちはやってくるのでしょうか。
私たちはここで考えを巡らしたのです。

 

凄まじい力がそれほど遠くない過去に解き放たれたのです。
私たちはここで死を悼みます。
 
それは十万人以上の日本の男女、子どもたちが含まれています。
何千人の韓国の方、何十人かの捕虜となっていたアメリカ人も含まれていました。
その人達の魂が私たちに語りかけているのです。
 
彼らは「中を見るように」と、「内側を見るように」と、私達が何者であるかを

見るようにと、そして私達がどういう者になるのか見るようにと語りかけて

いるのです。
 
広島が他のものと際立って違うのは、戦争があったという事実だけでは

ないのです。
こういった暴力的な紛争は、人類の最初の人と共に現れました

私達の先祖です。
 
木から槍をつくり、道具を使って狩猟するだけではなく、敵を倒すために

使われました。
我々の大陸で、歴史は戦争に満ちています。
穀物の不足のよるものであったり、また、ナショナリスト的、宗教的な熱意に

よるものであったりします。
 
人々は従属し、開放されてきました。
そしてそれぞれの時点において、罪のない人達が殺されてきました。
無数の犠牲者が生まれ、そして時間によってその人達の名前は忘れ去られて

しまいます。
 
第二次世界大戦は広島と長崎で頂点を迎えました。
最も豊かで強大な国が戦いました。
 
文明は世界の素晴らしい都市、壮大な美術、思想家を与えました。
そして正義や調和、真実について考えました。
しかしながら、戦争は同じ支配の為の、征服のための本能によるものです。

そして、部族の間で紛争が起こりました。古いパターンです。
これが新たな能力によって増強されました。
そして制約なしにです。
 
また、その中において、ほんの数年間で、6千万人もの人が命を落としました。
男性、女性、子どもたち。あるいはなにも私達と変わらない人たちなのです。
衝撃を与えられました。

そして、爆弾にあい、捕らえられ、飢餓にあい、死への行進を余儀なく
されたのです。

多くの場所がこういった戦争を記録し、記念碑があります。
また英雄的な物語を語る記念碑があります。
 
墓所、いままで収容所だったところが、人がなくなったところが、信じられない
ような、許しがたい事実を示してています。
 
しかしその中に、空に立ち上ったきのこ雲の映像の中に、私たちは本当に、
人間の中にある大いなる矛盾を想い起こさせているのです。
そしてこの閃きが、私達人類が他の生物と隔てるものです。
 
私達の言語・道具を作るということ、その能力を、私達を他の自然と隔てて
いるようなもの、その道具がまた私たちに与えている能力、というのは
信じがたい、他にはないいような破壊の力ともなっているのです。
 
”崇高なものである”という言い訳のもとに、どれほどの物質的な進歩、あるいは
社会的な革新というのが、こういった真実を見失わせてしまっているか、
いかに簡単に私たちはこういった暴力を正当化してしまっているのか。
 
すべての宗教は、愛と平和と、正当なものへの道を、と説いており、宗教は
どんなものであっても死を許しているものではないのです。
 
人々は犠牲を払い、協力し合い、驚くべき偉業を達成します。
しかし国家は嘘をつきます。

その同じ物語が、抑圧のために使われます。
そして違う人達を、人間でないとみなすようになるのです。
 
科学によって海を超えて通信ができるように、雲の上を超えて飛ぶことが
できるようになります。
そして病気をなくし、宇宙を理解する事ができます。
 
しかし同じ発見が、より効率的な殺戮の機械になることがあるのです。
現代の戦争がその真実を私たちに教えてくれます。
広島がこの真実を私たちに教えてくれます。
 
人間の制度が同じように革新されないままに技術的な革新がされてしまえば、

そうしたことが起こるのです。
科学的革新だけでなく、道義的な革新も必要となります。
だからこそ我々はこの場所にやってきたのです。
 
我々はここに立ち、この都市の中心に立ち、爆弾が投下された瞬間の事を

考させられます。
私たちは子供の恐怖を考えます。何を見て、どう混乱したのかを考えます。
そして、静かな犯罪に耳を傾けます。
 
我々は、この戦争によって死亡した罪のない人々の事を考えます。
この戦争、そしてその前の戦争、そして今後の戦争。
 
ただの言葉だけではこれらの人たちの苦悩に声を与えることはできません。
しかし私たちには共有された責任があります。
その人達の歴史の目をしっかりと見つめなければならないのです。
 
そして我々は、こういった苦しみを再び起こさないようにするには、どうすれば

いいのかを問いかけなければならないのです。
 
いつの日にか、被爆者“Hibakusya”たちの声は、もう私達の前に証人として、

いることはできなくなってしまいます。
 
しかしその時の記憶、1945年8月6日、そのことは決して忘れることはありません。
その記憶、私たちに、こういった事を忘れ去ってしまうことがないようにと

想い起こさせるのものであります。
 
そういった道義的な責任、それを私たちに想い起こさせるのものです。
そして私たちは変化していかなければならないのです。
 
この運命の日以来、我々は選択をしてきました。希望があるような選択をして

きたのです。
アメリカ及び日本は同盟国となっただけばかりでなく、友好国となりました。
 
それは私達国民のためにはこれ以上他に戦争であったということを遥かに超えた、

そしてヨーロッパでは戦争となったところ、それは商業と民主主義との絆で

結ばれる事になりました。
 
抑圧されていた人々が開放され自由となり、また、国際社会は制度を作り、

条約を発効させました。
 
それは戦争を回避させるためのものなのです。
それから私たちはそれを誓約していこうと、また、究極的には、核兵器を

なくそうとするものです。
 
それでも、国内外のすべての侵略行為、すべてのテロ行為、腐敗行為、残虐行為、

そして抑圧行為、世界中で見られますが、これらは、我々の仕事がまだ終わって

いないことを示しています。
 
我々は、人間が悪の行為を行う能力を排除することはできないかもしれません。
そして、国の同盟などは、自らを防衛する能力が必要です。
しかし核保有国は、そうした恐怖の論理から逃れる勇気が必要です。
 
そして核のない世界を追求しなければなりません。
我々は、私達が生きている間にこれは実現できないかもしれません。
しかし粘り強い努力によって、そうした破滅的な状況を後退させることが

できるのです。
 
私たちはこうした核兵器を破壊することができます。
そして死の物質を、狂信者の手に渡らないようにすることできます。
しかし、それだけでは十分ではありません。
 
我々は世界中で、最も原始的なライフルでさえ、樽爆弾でさえ、大規模に

暴力を行うことが知っています。
我々は戦争自体に対する考え方を変えなければなりません。
 
紛争・外交を通して防止しなければなりません。
そして紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
 
我々の相互の平和協力によって、競争ではなく協力をしていかなければなりません。私達が構築していくものによって。
 
そしておそらく何よりも私たちはもう一度この考え方を改めて、互いのつながりを

考えていかなくてはならないと思います。

 

我々は一つの人類の中の一員であるのです。
このことが人類の大変独特な部分です。
私たちは決して、この遺伝子で、また過去の間違いを犯すということが決まって

いるわけではないのです。
 
私たちは学習する能力があるのです。
私たちは選択する能力があるのです。
私たちは子どもたちに違った物語を教えていくことが可能なのです。
 
その物語とは、「人類が共通である」というものです。
そして戦争が起こらないようにするための物語なのです。
また残虐さが簡単に受け入れられないようにしなくてはならない、そういう物語

なのです。
 
そういった物語というのは、被爆者の方々の間に見ることができます。
その女性は原爆を落としたパイロットを許しました。というのは、彼女が本当に

嫌いなのは戦争そのものであるということが分かったからなのです。
 
その男性は、家族が、アメリカ人がそこで殺されていくことを見ました。

というのは、その人は信じていました。
この人達が失ったものというのは、やはり自分が失ったものと同じであると

考えたのです。
 
私の国の物語、それは簡単な言葉で始まりました。
「 全ての人間は平等に作られている。

創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を

与えられている。」
 
その理想を実現することは決して簡単なことではありません。
アメリカの国の中においてさえ簡単なことではないのです。

市民の間でも難しいものです。
 
しかしこの物語を信じることが、向けて、努力をする価値があります。

そうした理想のために努力をしなければなりません。
 
これは大陸を超え、海を超えた理想です。
 
すべての人の価値くぉ減らすことはできません。すべての生命が貴重であると

主張しなければなりません。
根本的に、我々は人類という家族の一員であると考えければなりません。
 
この物語が、我々が語らなければならない物語なのです。
だからこそ我々は広島にやってきます。
そして愛する人々のことを考えます。
 
子供の朝の最初のほほ笑み、妻のキッチンのテーブルでのふれあい。
そして親が慰めるために抱きしめてくれます。
 
そうしたことを考えて、そうした貴重な瞬間、同じ貴重な瞬間が71年前、

ここで起こったということを思い起こします。
亡くなった人たち、その人達は私達と同じなのです。
 
人はそれを理解できると思います。
これ以上の戦争を誰も望んでいません。
 
科学の驚異が人類を失くすためでなく、人類を改善するために使われたいと

考えます。
国家が選択するとき、また、指導者が選択するときには、この単純なる叡智を

反映しているのです。
またそれは広島の教訓が与えてくれたものであります。
 世界はここで永遠に変わりました。
しかし今日、この街の子どもたちは、この一日を平和に過ごすことができて

いるのです。
なんという貴重なことでしょうか。
これは守るべき価値があるものなのです。
そしてそれをさらに、すべての子供に広げることが必要なのです。
それこそが私達が選択することができる未来なのであります。
 
この未来というのは、
広島、長崎が、原爆の、戦争の夜明けとしてではなくて、
私達の道義的な気付きの夜明けなのであります。
LH MAGAZINEより引用

 

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安倍総理の言葉

【動画】安倍総理大臣が平和公園で声明 (16/05/27)

(削除しました。)

オバマさんとアベさんのスピーチ。
(ユーチューブで見れます)

じっくり読み、また、しっかり聞いてみるのも、たまには良いのでは、
ないだろうかと思い、取り上げてみた。